■ 自己紹介
--- 簡単に自己紹介をお願いします。
最初は、外資系のコンピューター会社で、メインフレームのミドルウェア系の仕事をしていました。会社がメインフレームから撤退した後は、サーバをやったり、 POS をやったり、あっちいったりこっちいったり。
そういうことやっていると、ネットワークをいじる必要が出てきて、簡単にソケットがたたけて、正規表現が使えて、そういう簡単なスクリプト言語が使いたくなって、なんとなく Ruby を使うようになったのかな。Ruby を使うようになると、GUI があるといいなぁということで、ActiveScriptRuby を作りました。そこで HTA でやるといいなぁというところから、それがそのまま『邪道編』 っていう本になってきたりね(笑)。
まぁいろいろ、というのが本業です。
--- 今現在、やられていることは?
今多いのは、サーバの方だと Java で、拡張するところのインターフェース部分を作ったりとか、あるいは端末の方だと C++ で、やっぱりインターフェースのところを作ったりですね。
後は全体の仕様書いたり、アーキテクチャ決めたりしています。
--- 世間一般的にいうところの「アーキテクト」とって呼ばれるような職種なんですか?
うーん・・・一応そういう風になるんじゃないかなぁと思うんですけど。
【arton】の由来
--- ところで、arton さんの "arton" ってどこから?
メインフレームをやっていた頃ですが、投入するジョブに ID をつけることになっていて、それが自分のイニシャルの間に部門の頭文字を入れたものだったんですよ。私、「田島あきお」で「A.T」で、その当時「リテールシステム」っていうとこにいたんで、「R」を置いて、「art」。
「rms」 とか「esr」 とか知ってるもんだから、これはかっこいいだろうみたいにね(笑)。 俺は『art』だなと。
で、インターネットでも利用しようとするとそれだと短すぎて、当然メールアドレスとかが何も取れなくて。それで「Online」の「on」をつけて、「arton」って。気持ち的には「rms」とかの真似なんですよ(笑)。
■ Windows
コンピュータ事始め
--- コンピュータとかソフトウェアの事始めはいつですか?
ぎりぎり大学の時かな。教養か何かで FORTRAN の授業を取ったことはあるけれど、意識的に使うのは会社入ってからですね。
--- 社会人になる時は、この業界に特別な意識があったんですか?
あった訳ではないです。入れるところに入っただけで、成り行きです。
--- 大学時代は何を専攻されていたんですか?
私は商学部。商学部でどちらかというと経営の方のつもり。
--- 勝手な印象なんですけど、哲学科かなぁとか思ってました。
それは趣味で、哲学は好きです。
--- もし歯車が組み合わさっていなかったら、プログラムとかやっていないかもしれない?
それはあるかもしれない。それでも自然にそっちにいったんじゃないかな(笑)。
--- 意外と珍しいタイプですよね?
そうだと思います。パソコン買ったのも会社入ってからかな。
--- どれくらい前に?
85 年に入社だから、 20 年ちょっと前。まず会社に入って触れたのは、その会社のメインフレームですかね。
--- メインフレーム・・・カードとか使ったりしていたのですか?
うん、カードです。カードしまくりましたよ(笑)。 それだけじゃなく、紙テープも使いましたね。
--- 言語はどういうのを使ってったんですか?
「×××」っていう言語ですね。
--- そのメインフレーム特有の言語なんですか?
もちろん、専用の。今でも頭の中で全部コマンド入ってますけどね。0x54 っていうのがオペランド A からオペランド B に移動するやつで、0x2a が実効アドレスをこちらへ持ってくるやつとか。
--- はぁ、相当低級言語なんですね。
もちろんメインフレームだから、実際は生易しくなくて、当然ファームウェアがあって、ファームウェアの上にヴァーチャルマシンがあって、その上で動く 60 年代の(マシンの)エミュレーションっていう感じですかね。昔はアセンブラだったけど、今はそのアセンブラを元にした高級言語みたいな感じ。でも 4 バイト固定長の言語なんですよね。
Windows 3.0 での開発
--- その後、80 年代後半ぐらいは何をされていたんですか?
Windows3.0A の時かなぁ・・・ 90 年代に入ってるような気もしますが、そのときパソコンを使った LAN の仕組みを作りました。ネットワークはもちろん用意されてるんだけど、私はアプリケーションプロトコルを決めたような気がする。アプリケーションは Windows 使おうって言い出したのは私だし、あと設計とほとんど全部やりました。
--- TCP/IP ではなかったんですか?
サーバは UNIX マシンだったから、NetBIOS Over TCP には一応なってたはずですね。
--- 3.0A というは 3.1 の前かぁ。
3.0 でやっててぎりぎりで 3.0A になったんじゃないかな。それで会社が取引のない IBM の OS をバンドルして売るっていうのはどうしたこうしたっていう、結構やっかいなことになりましたね。
あ、そうだ!ギリギリのところでマイクロソフトが 3.0 を出したんで、「お、これ使おう」みたいな話になったんだ。最初は AX でやってて、 AX だと(画面サイズが) 640 * 400 で。どうしてもこの画面だと 640 * 480 必要だから、 DOS-V が欲しい。 DOS-V って何だって訊かれて、それは IBM のだと答えてね。だから IBM のは仕入れない!! って怒られたり(笑)。
--- (笑)
それがマイクロソフト DOS-V6.0 かなんかが出てきたおかげですんなりいったりして。 そういうすごい手作りシステムですね(笑)。 その時に使ったのが BorlandC++ だったかな。それが最初のオブジェクト指向プログラミング言語を利用したシステムじゃないかな。
--- ライブラリはどんなものがあったんですか?
OWL。 Object Windows Library ですね。
--- Borland Component Library より前ですか?
それより遥かに前ですね。だって 16 ビットですよ。 Windows3.0 ですからね。いずれにしても、オブジェクト指向は C++ からですね。
Windows の POS システム
--- その後はどんなお仕事をされていたんですか?
その後は、Windows の POS ですね。(POS では)世界で最初に Windows を駆使して作ったやつです。
--- おぉ!