2012年3月1日木曜日

トップ10 - 獣医面白い

「獣医ドリトル」へのクチコミ(口コミ) - Gガイド.テレビ王国

  • 獣医ドリトル
    2010/12/27 shibayukibe

    本当につまらないドラマばかりが多い昨今、久しぶりに毎週欠かさずみるくらい
    デキの良いドラマだったと思います!
    動物と人間、どうやってつきあうべきなのか「俺にもわからん」といったドリトルの言葉が印象的でした。みんなが考えていかなければならない問題なのですよね。
    動物>人間といったようないきすぎた動物愛護とは違う、慈愛にあふれた上っ面だけではないドリトルの行動や言葉に毎回涙してました。

  • 獣医ドリトル
    2010/12/26 ミライ

    命の大切さを真剣に考えていたドラマ。動物の命を救うだけではなく飼い主のココロも救うドラマ。飼い主に厳しく言うだけではなく問いただし決断は飼い主にさせる。正義をみせつけたりするのではなく導いて救ってくれる。こんなドラマいままであったのかな。 だから見ていてココロが暖かくなって涙が止まらなかったのだと今、思っています。
    また続きが見たい。シリーズ化して頂きたい。

  • 獣医ドリトル
    2010/12/25 わんらぶ

    命を感じました。特に最終回で安楽死前の食事は涙が止まりません。何も知らず無心に食べてる姿が辛かった。家の犬を抱きしめて見てました。家の犬も病気持ちなので。細かいことは色々あるけど、命の重さ、人と動物の問題提起はとてもよく伝わりました。

  • 獣医ドリトル
    2010/12/25 チロル

    終わってしまって本当に寂しい。私は犬を飼っているのでたくさん考えることがありました。たくさん大切なことを教えてもらえるドラマでした。小栗旬さんの演じるドリトル先生は本当に魅力的でしたし井上真央さんとのコンビもよくて安心感がありました。こんなに素晴らしいドラマは絶対にまたやるべきです。シリーズ化があることを信じて待っています。

  • 2012年2月29日水曜日

    牛を描画する方法を学ぶ

    ゆいネット|コミュニティ事業部|パソコンサポート|パソコン教室|スキル別パソコン講習テーマ

    スキル別パソコン講習テーマ

    パソコン超初心者でも安心オススメ講習

    超初心者向け講習は、はじめてパソコンに触れる方などのビギナー向け講習です。

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    ・パソコンのしくみ・Windowsの基本・インターネットとメールの基本操作・周辺機器の利用方法 など

    インターネット&メール入門
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    初級〜上級者向け講習の実績紹介

    初心者を卒業!より実践的な操作を学ぶためのスキルアップ講習です。

    パソコン活用・実用
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    ・【実用】
    ウィンドウズ(ファイル整理・データバックアップ・圧縮と解凍)、メール(アドレス帳 ・添付ファイル)、インターネット(ブックマーク・ダウンロード) など

    ワード基礎・応用
    10:00〜21:00◇2,500円/1H〜

    ・【基礎】
    ワードの基本・文字入力・書式設定・レイアウト調整・図形描画 ・印刷・ハガキ作成 など

    ・【応用】
    セクション、スタイル、図形描画、差し込み印刷、フォームの利用、アウトライン、目次の作成、検索・置換、Web対応文書作成など 

    エクセル基礎・応用
    10:00〜21:00◇2,500円/1H〜

    ・【基礎】
    エクセルの基本・データ入力・数式・セルの書式設定・印刷・関数・グラフ作成・データベース機能 など

    ・【応用】
    関数、複合グラフ、ワークシートの活用、データベースの活用、マクロの作成、Web対応機能、その他便利な機能など

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    2012年2月26日日曜日

    "どのように宝探しを行う方法"

    ジオキャッシング - Wikipedia

    ジオキャッシング (geocaching) は、全地球測位システム(Global Positioning System, GPS)を利用した、地球規模で行なわれている宝探しゲームである。語原は、「地球」「大地」を意味する "geo" と、動詞としての「隠す」「畜える」を意味する "cache" を元にした造語である。

    プレイの方法としてはまず、あるプレイヤーはキャッシュ(cache)と呼ばれる宝箱に見立てた容器を隠し、隠した場所の座標をGPSレシーバーで取得し、米国にあるジオキャッシングの公式サイトに隠し場所のヒントと共にその座標を登録し、公開する。その情報を見た別のプレイヤーが、公開された座標を頼りにGPSレシーバーを用いてキャッシュを捜しに行く。このように、基本的なルールとしてはいたってシンプルである。

    2000年にアメリカで誕生した新しいゲームであるが、GPSやインターネットといった現代技術と、主として自然の中で行なうアウトドアスポーツとしての要素が融合した画期的なゲームとして、世界中に多くの愛好者(ジオキャッシャー(geocacher) と呼ばれる)が存在する。

    2012年1月現在、有効なキャッシュは世界に160万個近く設置されており、ゲームの参加者数は全世界で500万人以上に及ぶ。

    [編集] ゲームの概要

    ゲームを始める前に、米国にあるジオキャッシングの公式サイトでメンバー登録する必要がある(無料、ただしマイページの機能を拡充できる有料会員(プレミアムメンバー)制度もある)。

    [編集] 諸元

    参加人数
    単独でもプレイ可能だが、自己以外にキャッシュを「隠す」あるいは「捜す」プレイヤーの存在があるのは自明である。また、チームと称して複数名からなるグループが活動するケースもある。
    必要物資
    GPSレシーバーとインターネット接続環境(屋外で接続できる必要はない)が必須である。捜索時にはGPSレシーバやキャッシュの情報ページのハードコピー(または携帯インターネット端末)のほか、交換するための「宝物」やログブックに記入するための筆記用具等を持参するのが望ましい。新たにキャッシュを設置する場合はその材料も必要である(後述)。
    場所
    基本的に屋外であり、全地球上である。また、GPSを使用するのに支障とならないよう上空に開けた場所である必要がある。なお、ガイドラインでキャッシュを設置する場所に制約がある(後述)ため、必然的に屋根のある場所の多くは除外される。
    所要時間
    ひとつのキャッシュの探索に要する時間は、キャッシュの置かれている場所へ赴く移動時間と、キャッシュの探索に要する時間に大別される。キャッシュの置かれている場所へ赴く移動時間とは単純に、鉄道などの交通機関や自家用車での移動時間、或いは鉄道駅や駐車場からキャッシュの最寄りへ向かう徒歩で要した時間である。キャッシュの探索に要する時間は、それぞれのキャッシュの難易度とプレイヤー個人の技量、忍耐度に依存する。簡単なものであれば数分程度で見つけられるものもあれば、マルチキャッシュなど複雑なキャッシュの場合は数時間から時には数回の訪問・数日に及ぶ場合もある。
    勝敗・優劣の決定
    ジオキャッシングの公式サイトではメンバーのキャッシュの隠した数や発見数が表示される(一部例外あり)ので、その数を競う傾向もなくはない。しかしジオキャッシングというゲーム自体には競争という概念はない(置かれたキャッシュの第一発見者が「FTF ("First To Find"、一番乗り)」を宣言することはある)。地球規模で行なわれるこのゲームで純粋に数字で競うには、特に地域差ハンデは埋め難いからである。一部にはキャッシュを隠す際のテクニックや、いかに遠くのキャッシュに挑むか、などが評されるケースもあるが、これも抽象的なものである。なお、困難なキャッシュを置くこと自体が他のジオキャッシャーに対する「挑戦」である、という考え方もある。この場合、高い難易度で設置したキャッシュが容易に攻略されたことを「敗北」と捉える(逆に発見したほうにとっては「勝利」と捉える)。

    [編集] キャッシュを隠す

    ジオキャッシングでは「キャッシュを隠す」-「キャッシュを捜す」、という手順を踏むため、本稿では「隠す」「捜す」の順に解説する。だが、初心者が実際にジオキャッシングを始める場合には、はじめに隠されているキャッシュを捜してみてルールやテクニックを学び、ゲームに慣れて行くプロセスが必要である。

    また、本稿では最も基本的なキャッシュであるトラディショナルキャッシュについて解説する。その詳細やその他のキャッシュについては、キャッシュの種類の項を参照されたい。

    2012年2月25日土曜日

    ロンドンスタッシュことができます

    第79話 パリのマルシェ サントゥスタッシュ 神様~っショックぅぅ~目の前で・・・|★フランス・パリ漂流生存ブログ~こんな社長でごめんなさい~ビストロ、カフェ、スイーツ、お土産おすすめ人気口コミブログ

    2010年6月10日(木)  フランス・パリ漂流28日目

    パリのマルシェ(市場)

    区 Marché Saint-Eustache-Les Halles(サントゥスタッシュ レ アール)


    Rue Montmartre,entre la rue Rambuteau et la rue du Jour

    Jeudi de 12h30 a 20h30, dimanche de 7h a 15h

    Metro:Chatelet-Les Halles

    みなさん、こんにちは

    パリの天気は最高気温18度とやや肌寒い

    小雨もパラパラ。

    うさぎの肉をフランスから取り寄せたという方からブログにコメント頂きました

    そのままウサギの形で届いたと・・・(笑)

    そうなんです。

    2012年2月22日水曜日

    あなたの25歳の誕生日の右に持ってする方法

    吉本興業 - Wikipedia

    吉本興業株式会社(よしもとこうぎょう、英: Yoshimoto Kogyo Co., Ltd.)は日本の企業。

    大阪府大阪市中央区と東京都新宿区に本社[1](登記上本店は大阪)を置く、マネジメント、プロモーター、テレビ・ラジオ番組製作、演芸の興行等をグループで行う吉本興業グループの持株会社。通称:「吉本」「よしもと」

    1912年(明治45年)4月1日の創業以来、2007年(平成19年)9月30日までは日本の芸能プロダクションで、95年半の最も古い歴史を持っていたが、2007年(平成19年)10月1日から持株会社制へ移行し、同社の事業部門は、よしもとクリエイティブ・エージェンシー、よしもとデベロップメンツ、よしもとアドミニストレーションにそれぞれ分社化され、「吉本(よしもと)」を名乗る芸能プロの歴史は、よしもとクリエイティブ・エージェンシーに引き継がれた。その後TOBで非上場化され、在京・在阪の主要民放局や広告代理店・ソフトバンクなどが主要株主となっている。

    日本経済団体連合会と日本商品化権協会加盟。

    明治末期の創業以来100年近くにわたり、古くは初代桂春団治、横山エンタツ・花菱アチャコ、柳家金語楼から、現在のダウンタウン、ナインティナイン、オリエンタルラジオに至るまで、東西の多くの人気芸人を輩出してきたお笑い界の名門。テレビ番組制作、劇場、芸人養成スクールを手がけ、お笑い芸人のマネジメントでは圧倒的強さを誇る。

    また戦前は、巨人軍を他社と共同で設立して草創期のプロ野球界を支え、戦後は日本プロレス協会を立ち上げて力道山をスターにし、近年はスポーツ選手のマネジメントを数多く手がけるなど、スポーツ界とのつながりも深い。元々は全国で寄席・劇場・映画館経営を手がける興行会社であり、戦前は松竹・東宝・吉本で三大興行資本と称された。東京の二大落語家団体の一つ、落語芸術協会の創設者でもある。現在は芸能プロダクションを中心とし、テレビ番組制作会社、CS放送やケーブル・テレビ向けのテレビ局、不動産事業などを傘下に抱える業界最大手の複合企業である。「お笑いの総合商社」「日本最大の芸能プロ」と言われ、芸能界における絶対的な権威から今や「吉本なしでは、番組が作れない」とまで言われる。

    創業者の姓を採り「吉本」と名乗っているが、現在はオーナー経営ではない。大株主にはフジ・メディア・ホールディングス、電通、BM総研(ソフトバンクの完全子会社)、大成土地(創業家の資産管理会社で、吉本、林両家が40%ずつ、吉本興業が20%の株を持っている)、大成建設などが名を連ねている。銀行系列は特にないが、旧大和銀行系の大輪会に参加している。現在もりそなHDとの関係は続いている。梅田の大地主として知られ、現在はダイヤモンド地区に高層ビルを構える吉本家(本家末裔の五郎右衛門がオーナーの吉本グループと、分家の末裔であった晴彦が元オーナーである大阪マルビル)とは、資本・人材共に無関係である。

    芸能事務所としては初めて証券取引所に株式を上場したが、「安定株主の下で経営を行いたい」との意向から、2009年(平成21年)9月11日、クオンタムリープ・放送局・創業家資産管理会社など14社が出資する投資会社「クオンタム・エンターテイメント株式会社」(代表はクオンタムリープ代表の出井伸之)によるTOBを実施し、株式上場を廃止する方針を発表。事実上のマネジメント・バイアウトを実施した。(PDFによる公式IR情報)

    [編集] 主な役員

    [編集] 創業期(明治末〜)

    創業は1912年(明治45年)4月1日。始まりは吉本吉兵衛(本名:吉次郎、通称:泰三)・せい夫婦が大阪市北区天神橋にあった「第二文芸館」を買収し、寄席経営を始めた事であった。翌1913年(大正2年)1月には大阪市南区笠屋町(現・大阪市中央区東心斎橋)に吉本興行部が設立される。1915年(大正4年)には傘下の端席のほとんどを「花と咲くか、月と陰るか、全てを賭けて」との思いから「花月」[2]と改名し花月派(無名落語家や一門に属さない落語家、色物などの諸派)結成。吉兵衛・せい夫妻は、桂派、三友派の二大勢力の争いが三友派の勝利にほぼ確定していた、1921年(大正10年)に非主流の浪花落語反対派と提携して勢力を伸ばし、後に反対派を吸収。そして翌年、三友派の象徴ともいえる寄席「紅梅亭」を買収して三友派も吸収。上方演芸界全体を掌握する事になる。しかし、1924年(大正13年)に泰三が急性心筋梗塞で死去し、若き未亡人せいが経営を背負う事になるが、せいの二人の弟の林正之助が大阪で、林弘高が東京で活躍し、大過なく経営を続ける事が出来た。その後大正時代には大阪だけでも20あまりの寄席を経営し、京都、神戸、名古屋、横浜、東京等にも展開していた。

    当初は専属芸人のラジオ(当時のJOBK・大阪放送局)出演を堅く禁じていたが(当時の林正之助総支配人が「ラジオでタダで芸を聞かせたら寄席に客が来なくなる」として禁止したそうである)、1930年(昭和5年)12月7日に桂春団治がその禁を破ってJOBKに初出演。吉本は禁を破った春団治の寄席出演を堅く禁じたが、その後しばらくして春団治が寄席に復活した途端に客が押しかける様子を見て、専属芸人を放送番組に出演させる事が結果として自らの営業利益に繋がる事を知り、1934年(昭和9年)5月4日にJOBKと吉本は和解を果たした。1930年(昭和5年)には漫才(当時の万歳)専門の寄席小屋「南陽館」を開館、当時としては破格の値段10銭という入場料で横山エンタツ・花菱アチャコ、秋田Aスケ・Bスケ、芦乃家雁玉・林田十郎らが出演� ��人気を博す。

    [編集] 東京・横浜への進出(大正末〜)

    また大正末期より、東京・横浜への進出を開始し、1922年(大正11年)1月には神田の寄席「川竹亭」を買収して「神田花月」として開場、同年5月には、横浜伊勢佐木町の寄席「新富亭」を手に入れている(翌年「横浜花月」と改称)。昭和に入ると、浅草公園六区の興行街への進出に本腰を入れ、「昭和座」「公園劇場」「万成座」を次々と手に入れた。1935年(昭和10年)11月には東京吉本の本拠地となる「浅草花月劇場」をオープンさせている。また1932年(昭和7年)3月1日に吉本興行部を改組する形で吉本興業合名会社が発足すると、正式に東京支社を開き、林弘高が支社長に就任した。以後、大阪吉本を林正之助が、東京吉本を林弘高が率いる体制が確立する。同年には「漫才」の名付け親として知られ、後に同社の社長にもな� ��た橋本鐵彦、1934年(昭和9年)には漫才作者として名高い秋田實が入社した。

    東京吉本は伝統的演芸路線を取る大阪吉本と異なり、徹底したモダン・ハイカラ路線を打ち出した。「浅草花月」オープン時には流行歌手の東海林太郎やタップダンサーのマーガレット・ユキを出演させ、映画を上映し、レビューの「吉本ショウ」を上演している。専属のバンドと歌手、30人以上のダンサー・チームを抱える「吉本ショウ」は、やがて「浅草花月」の目玉となり、ここから後に 川田義雄、坊屋三郎、益田喜頓、芝利英による、ボーイズの元祖「あきれたぼういず」が誕生した。「あきれたぼういず」以外にも当時の東京吉本は、柳家金語楼、柳家三亀松を筆頭に、石田一松、永田キング、木下華声(元2代目江戸家猫八)、松井翠声、伴淳三郎ら多くの東京の人気芸人を専属に抱えていた。タップダンサーの中川三郎や姫宮接子、元祖外国人タレント・ミス・バージニア、喜劇王「シミキン」こと清水金一、コメディアンの堺駿二(堺正章の父)、木戸新太郎(キドシン)、泉和助、杉兵助(コント赤信号の師匠)[3]も当時、東京吉本に所属していたことがある。

    東京吉本を率いる林弘高は、欧米の視察経験もあって、当地のエンターテイメント事情に明るく、吉本を色物主体の演芸会社から、ジャズやタップ・ダンス主体のバラエティ・ショーを主軸とする興行会社へ近代化させようとした。ジャズ評論家の瀬川昌久によれば、当時東京吉本の文芸部にはサトウ・ハチローや阿木翁助など多士済々の作家陣が在籍していたが、中でも長年「吉本ショウ」の脚本を手がけていた岩本正夫は、早稲田大学文学部出身で、英語にも堪能であった。そして松井翠声がアメリカのミュージカル雑誌の切抜きを始終持ってきては、岩本がこれを翻案し、さらには新しい欧米映画を何度も見てネタを拾っては、脚本を書いたという。1940年(昭和15年)には、谷口又士をリーダーとして「吉本スイング・オーケスト� ��」が結成され、浅草花月の舞台に登場するが、これも当時アメリカのショー・ビジネスを見学した林弘高が、丁度結成されたばかりであるスパイク・ジョーンズのコミックバンドを見て感激し、その日本版を狙ったといわれる[4]

    [編集] 戦前の全盛期(昭和初め〜)

    またこの時期吉本興業は、スポーツや映画といった演芸以外の分野にも積極的に進出している。1934年(昭和9年)には、正力松太郎の音頭の下、京成電鉄や東芝等と共同出資して、プロ野球球団の大日本東京野球倶楽部(後の東京巨人軍、現:読売ジャイアンツ)を設立。林正之助を、球団の役員に送り込んでいる。また1933年(昭和8年)には、吉本の社内に映画部を設立。1935年(昭和10年)には、映画会社東宝の前身の一つであるピー・シー・エル映画製作所(PCL)と、さらに翌年東宝映画配給と提携し、1936年(昭和11年)には林正之助が東宝映画配給の取締役に就任している。こうして横山エンタツ・花菱アチャコ、柳家金語楼ら吉本所属の喜劇人の映画が、続々と東宝から封切られることになった。また、本業の演芸部門でも東宝と の合弁企業・東宝演芸を東京に設立し、東京での演芸興行にも一層注力する事になった。その一方で当時三大興行資本と言われた松竹・東宝・吉本の内、東宝と吉本が急接近したことは、松竹を刺激し、松竹傘下の新興キネマによる、後述の吉本芸人の引き抜き騒動を引き起こすことにもなった。

    2012年2月20日月曜日

    上に男の乗り方を

    鷹野隆大『男の乗り方』展、10/17(土)よりラムフロム東京で開催! - lammfromm(ラムフロム) 現代アート&デザイン : 展覧会とイベント

    今週末、10月17日(土)より、GALLERY at lammfrommにて、
    写真家、鷹野隆大(たかのりゅうだい)の個展『男の乗り方』を開催いたします。

    写真集『IN MY ROOM』で、2006年第31回木村伊兵衛写真賞を受賞し
    主に男性のヌード写真を通して、ジェンダーやセクシュアリティを問い、
    他者との関係性を問い直すような作品を発表し、注目を集めてきた鷹野隆大。
    本展では、2005年に本格スタートし、2006年にツァイト・フォト・サロンで初めて
    発表した「男の乗り方」シリーズに、新作を加えて披露いたします。

    「脱皮した肌のまぶしさ、彼らの息づかい、
    かすかに立ち上る匂い。そんなものを堪能してほしい」

    と、作家自ら語るように、カメラのストロボを浴びながら、
    緊張したモデルの身体がだんだんと熱を帯びてくる過程が、
    生々しく、色気たっぷりに見るものに伝わってきます。